給与計算の実務において、「通勤手当」は誤りが発生しやすい項目の一つです。特に「所得税では非課税なのに、なぜ社会保険料の計算には含まれるのか?」という点は、多くの担当者が抱く疑問です。
この処理を誤ると、従業員の手取り額や将来の年金額、そして会社の法定福利費負担に直接影響を及ぼします。
本記事では、通勤手当に関する「所得税」と「社会保険料」の扱いの違いを整理し、6ヶ月定期の按分処理や在宅勤務時の注意点など、実務に直結するポイントを解説します。
そもそも通勤手当とは?「通勤費」との違い
まずは、支給する金銭の性質を正しく理解する必要があります。「通勤手当」と「通勤費」は混同されがちですが、実務上の扱いは明確に異なります。
通勤手当の定義と支給のルール
「通勤手当」とは、従業員の通勤にかかる費用を補填するため、給与の一部として定期的・一律に支給される金銭や現物(定期券など)を指します。
一方、「通勤費(旅費交通費)」は、出張や営業など業務命令による移動のために立て替えた実費を精算するもので、これは給与ではなく会社の「経費」となります。
| 項目 | 通勤手当 | 通勤費(旅費交通費) |
|---|---|---|
| 性質 | 給与(労働の対償) | 経費(実費弁償) |
| 支給 | 毎月など経常的に支給 | 都度、実費を精算 |
| 所得税 | 一定額まで非課税 | 全額非課税 |
| 社会保険 | 計算対象に含む | 計算対象に含まない |
法律上、企業に通勤手当の支払い義務はありません。
支給有無や計算方法は企業が任意に決定できますが、ルールは必ず「就業規則(賃金規程)」に明記する必要があります。
なお、同一労働同一賃金の観点から、正社員に支給している場合は、原則としてパート・有期雇用労働者にも同等の支給が求められる点には注意が必要です。
通勤手当が「課税」されるケースとは?所得税の非課税ルール
「通勤手当は課税されるか」に対する答えは、「原則は課税対象(給与)だが、政策的に一定額まで非課税枠が設けられている」となります。
非課税となる通勤手当の基本的な考え方
通勤手当は、従業員が給与(労働の対価)を得るために直接必要な経費としての側面が強いことから、所得税法上、一定の限度額までは課税しない(非課税)と定められています。
この非課税の基準となるのは、「通勤のための運賃、時間、距離等の事情に照らし最も経済的かつ合理的と認められる通常の通勤の経路及び方法による運賃等の額」です。
実務上、「合理的」の解釈が問題となることがあります。
例えば、従業員が「楽だから」という理由で、新幹線通勤のグリーン車を利用した場合、そのグリーン料金部分は「合理的」とは認められず、非課税の対象外(=課税対象)となります。
企業としては、従業員からの申請経路が「最安経路か」「所要時間が極端に長くないか」などを確認し、自社としての合理性の基準を明確にしておく運用が求められます。
限度額を超えた分は「課税対象」として給与所得になる
通勤手当は「全額が非課税」になるわけではなく、あくまで「非課税限度額まで」が非課税となります。
もし、会社の規程に基づき支給した通勤手当の額が、後述する交通手段別の非課税限度額を超過した場合、その超過した金額は、通常の給与と同様に「給与所得」として扱われます。
例:公共交通機関利用(限度額 15万円)で、定期代 16万円を支給した場合
- 150,000円: 非課税
- 10,000円: 課税対象(給与に上乗せして所得税・住民税を計算)
となり、この 10,000円は、その月の給与に上乗せして源泉徴収(所得税・住民税)の計算を行う必要があります。
【交通手段別】通勤手当の非課税限度額はいくら?
所得税の非課税限度額は、使用する交通手段によって異なります。国税庁が定める最新の基準に基づき、正確な金額を解説します。
1. 電車・バスなどの公共交通機関のみを利用する場合
月額 150,000円までが非課税です。 最も経済的かつ合理的な経路で算出された1ヶ月あたりの金額で判定します。
これは、前述の「最も経済的かつ合理的な経路」で計算した 1ヶ月あたりの通勤定期券などの金額です。この限度額は、平成28年(2016年)の税制改正で 100,000円から 150,000円に引き上げられました。
2. マイカー・自転車などで通勤する場合
公共交通機関を使わず、自動車や自転車等で通勤する人に支給する手当(ガソリン代等)については、「片道の通勤距離」に応じて限度額が定められています。 給与担当者は、地図ソフト等で距離を客観的に測定し、以下の区分に当てはめる必要があります。
表:マイカー・自転車通勤者の非課税限度額(1ヶ月あたり)
| 片道の通勤距離 | 1ヶ月あたりの非課税限度額 |
|---|---|
| 2km未満 | 全額課税 (0円) |
| 2km以上 10km未満 | 4,200円 |
| 10km以上 15km未満 | 7,300円 |
| 15km以上 25km未満 | 13,500円 |
| 25km以上 35km未満 | 19,700円 |
| 35km以上 45km未満 | 25,900円 |
| 45km以上 55km未満 | 32,300円 |
| 55km以上 | 38,700円 |
特筆すべきは、片道 2km未満の場合は、たとえ自転車通勤であっても全額が課税対象となる点です。
3. 公共交通機関とマイカーなどを併用する場合
「最寄り駅まで車、そこから電車」といったケースでは、以下の合計額が非課税となります。ただし、合計額が月15万円を超える場合は15万円が上限です。
- 公共交通機関の1ヶ月定期代
- マイカー等の片道距離に応じた非課税限度額
【重要!】通勤手当の非課税限度額の改正について
令和7年11月19日に公布された所得税法施行令の改正により、自動車などの交通用具で通勤する給与所得者に支給される通勤手当の非課税限度額が引き上げられました。この改正は令和7年11月20日に施行され、令和7年4月1日以後に支払われるべき通勤手当(同日前に支払われるべき通勤手当の差額として追加支給されるものを除く)から適用されます。そのため、改正前の限度額を超える通勤手当を支払っていた場合には、令和7年分の年末調整での対応が必要となる可能性があります。
所得税非課税でも「社会保険料」の計算対象になる理由
ここが実務上の最重要ポイントです。 「所得税はかからないのに、なぜ社会保険料(健康保険・厚生年金)の計算には含まれるのか?」
なぜ社会保険料の計算(標準報酬月額)に含まれるのか?
理由は、所得税法と、健康保険法・厚生年金保険法(社会保険)では、「報酬」の定義が根本的に異なるからです。
- 所得税法: 担税力(税金を払う力)を見るため、実費的な通勤費は経費として除外(非課税)する。
- 社会保険法: 「労働の対償として受けるすべてのもの」を報酬とする。通勤手当も会社から受ける経済的利益であり、生活の糧の一部とみなされる。
この定義の違いは、両者の法律の目的の違いから来ています。所得税法は「担税力(税金を払う能力)」を測るため、必要経費(通勤費)を控除します。
しかし、社会保険法は「従業員の生活を保障する(病気、老後、失業など)」ための制度であり、その保険料は「従業員が受け取る生活の糧(報酬)全体」に対して公平に賦課されるべき、という思想に基づいています。
通勤手当は、従業員が「労働を提供すること」への対価として、会社から「経常的に」受け取る「実質的な」経済的利益(金銭または現物定期券)です。
このため、所得税が非課税であっても、社会保険料の計算基礎となる「標準報酬月額」には、通勤手当の全額を含めて計算しなければなりません。
社会保険料の対象になるとどう影響する?
通勤手当が報酬に含まれることで、以下のような影響が生じます。
1. 従業員側への影響
- 保険料負担が増え、手取り額が減少する。
- 一方で、将来受け取る厚生年金の受給額が増加するメリットもある。
2. 会社側への影響
- 会社負担分の社会保険料が増加する。
- 遠距離通勤者を多く採用する場合、通勤手当そのもののコストに加え、法定福利費の負担増も考慮する必要がある。
通勤手当の実務上の注意点(FAQ)
実務担当者が迷いやすい具体的なケースについて回答します。
Q1. 6ヶ月定期で支給する場合の非課税処理は?
6ヶ月定期代を年2回支給する場合など、税と社会保険で処理方法が異なります。
- 所得税: 支給額を月額換算し、月15万円以下であれば、支給した月に全額を非課税処理して問題ありません。
- 社会保険(重要): 標準報酬月額の算定(定時決定など)において、支給額を月数(6ヶ月)で割り、1ヶ月分を各月の報酬に加算します。 4月に6ヶ月分を一括支給しても、4月の報酬だけで計算するのではなく、4月〜9月の各月に1/6ずつ乗っているものとして扱います。
Q2. 在宅勤務(リモートワーク)導入時の扱いは?
在宅勤務の普及に伴い、支給形態を変更する企業が増えています。
- 実費精算へ切り替える場合: 定期代の支給を廃止し、出社日数に応じた実費を支給する場合、それは「通勤手当」ではなく「旅費交通費」扱いとなります。この場合、社会保険の報酬には含まれません。
- 在宅勤務手当を一律支給する場合: 毎月定額の「在宅勤務手当」を支給する場合は、原則として給与所得(課税対象)となり、社会保険料の計算基礎にも含まれます。
Q3. 通勤手当と消費税(インボイス)の扱いは?
会社が支給する通勤手当は、消費税の計算上「課税仕入れ」となります。 インボイス制度に関しては、従業員が利用する公共交通機関の運賃(3万円未満)については特例があり、インボイスの保存がなくても帳簿保存のみで仕入税額控除が認められます。
Q4. 2026年から通勤手当が課税されるって本当?
「通勤手当が課税されるようになる」という噂がありますが、現時点(執筆時点)でそのような決定事実はありません。 過去に政府の税制調査会で「非課税枠のあり方」が議論の俎上に載ったことはありますが、具体的に廃止等が決まったわけではありません。不確かな情報に惑わされず、国税庁等の公式情報を確認するようにしましょう。
まとめ
本記事では、給与計算担当者が迷いやすい「通勤手当」の課税・非課税について、所得税と社会保険料の両面から詳細に解説しました。
重要なポイントを振り返ります。
- 所得税のルール: 通勤手当は「最も経済的かつ合理的な経路」に基づき、交通手段(公共交通機関、マイカー・自転車)ごとの「非課税限度額」まで所得税が非課税となります(公共交通機関は月 150,000円まで)。
- 限度額超過分: 非課税限度額を超えた金額は、給与所得として「所得税」が課税されます。
- 社会保険のルール: 所得税で非課税であっても、社会保険の定義では「労働の対償」であるため、通勤手当の全額が「報酬」に含まれます。
- 影響: 社会保険の対象となることで、従業員は「手取りが減る」が「将来の年金が増える」、会社は「会社負担の保険料が増える」という影響があります。
- 実務: 6ヶ月定期の按分処理や、在宅勤務への移行(実費精算)など、実務上の処理は複雑化しています。
特に社会保険の「標準報酬月額」の算定誤りは、遡及修正が必要になるなどリスクが大きい項目です。
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